友が観てきたとメル飛ばしてきたから負けぢ魂でσ(*`(∞)´*)も観たw
6月24日のレディースディにね(*⌒ー⌒*)b
山を知らないσ(*`(∞)´*)にも その美しい映像ゎ虜にするのですな
ブログ型破りで「友」の感想を転記しようと思う(手抜きちゃうよぉw)
先日、両親を連れて映画を見に行きました。
もともと登山好きの私は小説家新田次郎氏の著作を多々愛読していましたが、是非映画化してほしい作品の一つがこの「劔岳 点の記」でした。
今までに新田次郎の原作から映画化されたものは「八甲田山」や「聖職の碑」など自然とのに関するものが多い。
氏の小説は元気象庁の職員であった加減で自然の描写が実に素晴らしい。
また綿密な取材によって主人公となる人間を、その時代背景や所属する組織との関係などから浮き彫りにさせる手腕は類を見ない。
この小説が発表されたのは昭和50年代前半、日本の高度経済成長が頂点に達したあたりですね。
詳しい事は省きますが「点の記」とされるのは地図を造る上で測量の基準になる「三角点」を設定する作業を記録した物で、現在国土地理院が管理している公文書。
三角点は見通しのきく場所に設定されることから、たいていが山頂にあります。
物語の時代は日露戦争後の明治39年、当時国内地図の管理は陸軍がもって各地の地図測量を急いでいたのですが、前人未踏とされていた富山県の劔岳一帯が空白になっていました。
そこに軍の威信をかけた初登頂の栄誉をつかむ事を命じられ三角点の設定と一帯の測量の任務を要求された測量手柴崎芳太郎を頭にした測量隊の「記録」です。
詳しくは省きますが、記録として残る初登頂のはずが、すでに人の上った痕跡があり「点の記」として記録に残る、一等~三等三角点の設定があまりの険しさに不可能と判断され補助的な“四等三角点”を設置したため次第を残される「点の記」には劔岳の登頂の事は残っていないのです。
その後、人知れず前人未踏の山野を駆けめぐって現在の地図の基礎をつくった測量手の小説を依頼された新田次郎氏によって調査しまとめられ、一部山岳誌や当時の地方新聞にしか痕跡の残っていなかった偉業を世に知らしめる事になった訳です。
映画『劔岳 点の記』公式サイト
私個人としては映画を公開直後に見に行くということは滅多になく、この「劔岳 点の記」が映画になるという企画の発表の時から約3年まっておりました(笑)
いつもがら空きのモーニング割引を使おうと映画館に早めにいったつもりが、チケット売り場はどうみても高齢のご夫婦や、おばちゃん組の長蛇の列。
「いつもがら空きやのに、なんでこんなに混んでんの~」のヤジ
どうみても「トランスフォーマー」や「ターミネーター4」をみに来たとは思えない(笑)
案の定ほとんどの方が「劔岳 点の記」のチケットを購入されていました。
ところが封切り直後にも関わらず、ウチの映画館では129名定員の二番目に小さいスクリーン。なんとか前から三列目の真ん中に陣取りましたがおかげで美しく厳しい自然の中にあたかも自分がいるかのような感じでGOODでした。
やはり映画という事で原作のままのではなかったのですが、木村大作監督の映像のこだわりは、ほぼシナリオの順序での標高3000mでの高山での春・夏をかけた決死のロケには脱帽ものです。
現在では登山道が整備されているとはいえ、ほとんど実話通りのルートをたどるのは現在でも登山でもエキスパートコースとして一般的ではありません。
そこに登山が初という俳優さんがチャレンジしながらそれを見渡せる位置からの撮影ですが、なにせ空気は薄い天気は変わりやすい、落石や雪崩の巣の中で限られたカメラ位置で何度も取りなおしが効かないはずです。
しかもCGは一切ナシ
監督自身「けが人が出たら撮影は辞める」との信念で、撮影隊が大きな事故もなく撮影が終了できたのも奇跡に近い確率だとおもいます。
ネタバレで申し訳ありませんが、実は山頂に着いた映像というものは撮影できなかったようで、ありません。公式HPにある木村監督の登頂の動画(23 明と暗)をみれば解ると思いますが、霧で見晴らしが効かなかったようです。
その日(7/13)は木村監督の誕生日でもあり、実際に柴崎測量隊が初登頂をした日なのです。
ここにも監督のこだわりが見えるような気がしました。
画像は、たしか17年前に撮った写真です。奥の山が劔岳です。
「山頂に着いた!という映像は撮れなかった」と表現しましたが実際には頂上部分でのロケも後日行われています。
いったいこの話のどこに自分は心が震えたのか思い出すために再度原作を読み返しているうちに、一つ気がつきました。
もしこの映画や原作の小説が劔岳登頂を讃えるものであるならば、一つのクライマックスである山頂到達の瞬間はもっと劇的に表現されていたかもしれません。しかし原作でも映画でも、苦難の末に到達した という部分は非常にあっさりと表現されています。木村監督はこの作品だけメガホンをとって監督から引退すると言われているようですが妥協しないホンモノの映像を追求する映画人には、二度と同じものが造れないという限界までの完成度を求めたと言うことでしょう。
測量の為だけに妥協せずどんな困難を克服する測量プロ魂はが重なっているように思えます。
つまり、「山頂に到達した」 という事実は柴崎測量隊にすれば地図測量網構築の通過点に過ぎず木村監督においても映画全体の一部、カメラマン人生の一つのピークに過ぎないわけです。
現に後日のインタビューで木村監督は「今回の映画撮影は訓練だ」と言い柴崎芳太郎役の浅野忠信さんも、宇治長治郎役の香川照之さんも「頂上に着いたことより、その後が大事なんです」と異口同音に答えておられました。
大きな全体の目標達成のための一つ一つは小さくも大変な苦労の積み重ね。
それは決して日の目があたるような事ばかりではない。
だからこそエンドクレジットのキャストの紹介は「仲間たち」として平等に
ロールされていったのでしょうね。
誰一人として欠けていればあの映画は成立しなかった。
社会の為につくしてこられた無数の先輩たちや、これから社会を構築していく若者に対しての作者からのエールを感じたからこそ感動したのだと気がつきました。
だれしも人に知られていない「点の記」があるはずなのです。
余談ですが、明治40年に設定された劒岳山頂の四等三角点は、ナントその100年後の2004年、平成の時代になってから初めて三等三角点が埋設されたんですよ。
それから測量し直すまで長く劒岳は標高3003メートルと表記されていました。
これは写真測量などによるものだったらしく、柴崎測量隊のデータから導かれた
三角測量の値は2998.02mだったそうです。
最新の測量の値は2998.6m スゴイ測量精度だったんですね。
今回の小説の映画化は測量士の分野でも盛り上がっていたようで
いろいろな資料が紹介されていますよ。
日本測量協会 劒岳点の記コーナー
http://www.jsurvey.jp/tsurugidake/index.htm
画像は1994年に私が撮影したものです。(友人〝あべひ〟談)
「点の記」を個々が記す2009年夏である。
あの最後に「仲間たち」とロールされていった人々と同じように
σ(*`(∞)´*)にも「仲間たち」があればこそ「何を したのかではない」
「何のために したかが大事なのだ」そう言える人生でありたいと思うのだ ぐはっ
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